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スケッチ
ノート

しかし自分で仕事をするとなるとそうはいかない。この三つは常に一心同体で、どれが出来なくともすぐに生きていけなくなってしまうのだ。だからこそ、自分の与えられた仕事さえしていれば収入が得られて生きていけるなんて、会社員というのはなんて楽なんだろうと思う。
 と言っても、10年以上会社員でいた(しかもそれなりに世間ではハードと言われている企業だ)ので、辛いこともよく知っている。会社員の苦しみは、例えば数字があがらないプレッシャーだったり、周囲の人を自分と比較した挙げ句能力と待遇のバランスに不公平感を持ってしまったり、思うように仕事が進められなかったり。これまでの私も日記の中で度々ぼやいてきたことの数々だ。
 だが逆に、会社員は自由でもある。どんな仕事(営業・事務・経理・人事・・)でも経験できる可能性があるのは会社員だけだ。自分で動かなければどだい無理だし、会社の状況が許さないことも多々ある、けれど可能性はある。私も強く強く希望して(どれほどだったかは後述)マーケティングから営業に出向させてもらえたりした。そんなことは、会社員でなければ不可能だ。
 苦しみはありつつも、ある程度自由にさせてもらえて、給料もそれなり、かつ周りの人たちのことは本当に好きだった。なのに、いくら会社が危ないとは言え、辞める機会が見えているからと言って私はどうして外に出る決断をしたのだろう。

 はっきりとしたきっかけがあったわけではない。曖昧な思いの蓄積にしか過ぎない。あえて、一番近い言葉で言うなら、もうこれ以上会社に失望したくなかったからかもしれない。会社を好きなまま去って、自分は甘えずに厳しい環境で新たなチャレンジをして、会社にも、好きな人たちにも、そして自分自身にも誇れる自分でいたかったからかもしれない。

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 私が新卒で入った会社も次に10年以上お世話になることになった会社もRグループの企業だった。Rに私は中学生の時から入りたかった。Rの生み出すプロダクトがとてもおもしろかったことと、一体何が競合になるか分からないほどの独自のビジネススキームの魅力、R社員が新聞に連載していたコラムから感じる自由な社風・・まだ中学生の私でも、本能的に「この会社は私に合っている」と感じたのだった。
 実際、それはとても正しかったと思う。私は、未だに人に媚びを売ることが出来ず、更に思ったことを口にせずにはいられない不器用な人間だが、そんな私でもRだったからこそのびのびと仕事をしていくことが出来たのだ。周りは私同様の正直で不器用なタイプもそれなりにいたし、そのくせ頭の回転は速く自信家、仕事も全力でやるけど遊びも全力!ノリの良い人たちが集結していた。普段の飲み会も楽しかったが、大人数のイベントともなるとプロ顔負けの脚本を元に凝った演出がなされ、みんなで声が枯れるほど笑ったものだった。
 Rの本質は、あちこちで未だによく言われる通り、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」と言う言葉に尽きると思う。私自身も大好きな言葉だ。「経営者たれ」ともよく言われた。R本体は、仕事を覚えたら自ら外に飛び出して起業していく、40過ぎて残っていてはみっともない、そう言う風土が未だに残っているという。だが、私のいた会社はR本体と違い不動産という実業を扱っていることもあってか、どんどんRの本来のDNAから変質していった。
 終身雇用を目指すと社長が言い出し、社長自身の政権も15年以上に及ぶ長期に渡り、社長の周りは、実力はもちろんあるけれどもそれ以上に社長のご機嫌取りも欠かさないというタイプの人たちで固められた。
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