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スケッチ
ノート

社長の意図を過剰な翻訳と共に下に卸す役員たちが増え、「仕事のための仕事」「形に合わせる仕事」が末端の社員たちの時間と気力を奪っていった。ステップアップのために外に出て行く人たちは相変わらず一定数いたが、大多数は「いかにこの会社でうまくやっていくか」を考えるようになっていった。従業員が独立して会社の外に出たとしても変わらずビジネス上の付き合いは続けようというのが従来のRのやり方だったが、社長始め役員たちは、外に出て起業に成功し、一定数の社員を抱えるようになった企業との取引を露骨に嫌がった。

 そんな中、バブル崩壊後の長い不景気がようやく終わりを迎え、不動産業界はミニバブルという状況に再び踊らされていた。長らく続いていた地価の下落が止まり、みるみるうちに反転、上昇を始めた。氷河期に就職し、不景気しか知らない私は、土地代の上昇に伴う不動産販売価格の上昇に非常に懐疑的だった。バブル時には「土地の値段は上がっていくもの」という不動の信念があった上で人々がこぞって不動産を購入したそうだが、今はバブル崩壊後の底値をみんなが知っている。底値を知っている人々が、どこまでも高くなっていく不動産を本当に購入するのか?しかし、私の警告は全く受け入れられなかった。そもそも私は販売部門ではなく資産活用部門に所属していたし、分譲事業については素人の、成り立ての一女子マネージャーに過ぎなかったわけだ。
 ほどなく、急激な中国の経済成長(オリンピック特需とも言われた)の影響を受け鉄鋼の価格が急上昇した。つまりは不動産事業の原価となる土地代も建築費も急騰してしまったのだ。不動産の売買に乗せる利益率は10%そこそこで計画する。かつ、建築費も含め事業計画を立て土地を仕入れてから(原価の確定)、実際に物が建って売れるまで(売上、資金の回収)、だいたい2年前後を要する。その原価が一気に倍近くに膨れあがることになってしまったのだ。

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 そうした時に起こったのがサブプライムローン問題であり、リーマンショックである。銀行は融資を絞り、マンションは売れず、資金回収が滞りだした。詳しい話は省くが、そうして不動産業界は一気に傾き、倒産が相次いだ。

 私は気持ちが焦っていた。当時はまだ資産活用部門にて賃貸のマーケティングを担当していた。立上げ当初から9年近くいたために、東京23区の賃貸マンションを私ほど知っている人間は業界見回しても二人といないと自負していた。メンバーは契約社員ばかりだったこともあり、その殆どがどうしても私の存在に甘えていた。逆に、甘えがなく能力高いメンバーは、正社員になれないジレンマに悩み会社を離れていった。当時会社の方針で、契約社員の正社員登用は控えられていた。是非とも残って欲しい人材は流出し、楽しくそこそこに仕事が出来れば良い、けれど今の自分のポジションも不満、そういうメンバーが残ることとなった。私は彼女たちがいずれ市況が回復したときに正社員登用されるべく鍛えようと必死だった。出来るだけ彼女たち自らが取引相手と交渉し、結論まで導けるよう厳しく突き放していたつもりだった。しかし、立場の違いからくる遠慮もあって、結局最後には庇ってしまうということを繰り返していた。
 私はいい加減他の部門に移りたかった。分譲販売が主体の会社にいるのに、分譲を知らないのも情けなかった。私がいるからこそ、メンバーの成長が滞るのだとも思っていた。
 また一方、私がこの会社に入ってから自ら直接お金を稼いだのは一度だけだった。マーケティングのレポートを請われて同業他社に売ったのである。ラインスタッフというポジションにいたので、稼いだことだけでも当時は褒められたものだったが、そんな自分が歯がゆかった。こんなに資金繰りが危ないと分かっているのに、私は一銭も稼いでいない。直接お金を稼ぐことだけが会社の仕事ではなく、私だって売上に貢献しているはずだと考えても、この焦りが解消するわけではなかった。自らの手で稼ぎたかった。
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