目次
スケッチ

 見たことのない眼の色だった。
 確かにこちらを見ているけれど、眼が合わない、この人は私を見ていない・・!
 瞬間、訳のわからない震えが背中をかけ上がった。
「あ、あの、結構ですから」
 かろうじて答えると、彼女はぎこちなく身体の向きを変えた。青年の眼を避けるように急いでわきをすり抜け、早足で横断歩道へと向かう。赤信号でとどまる人の中にまぎれながらできるだけ奥へ。青年は追っては来ないようだった。
 
(早く、信号青になって)
 青年の眼から感じたいわれない恐怖から逃れたい一心で、彼女は焦れるように信号を見上げた。
 歩道の信号は、べったりと血糊で塗られたような、真っ赤な人型だった。心臓がばくんと大きく脈打った。
(何これ!?)
 慌てて車道の信号を見上げると、焦点があわないままのっぺりと赤く光る眼があった。絶対に眼があわないのに、自分を確かに見ている眼。さっきの青年と同じだった。
(・・・イヤだ・・!)

 彼女は、血糊の人型とのっぺりした赤い眼が最新型の信号なのだと、知識としては知っていた。知ってはいてもとても冷静に信号の前に立つことができなかった。眼のあわない眼を見るのは一度だけで充分だった。怖かった。
 踵を返し信号から逃れようとし・・、そして人ごみの先にまだ立ち尽くしている青年の姿を見つけた。青年は、さっきと同じように表情の読めない灰色の眼をして立っていた。
(・・・!!)
 青年が自分を見ているかどうか、彼女にはわからなかった。

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 私を見て欲しくない・・!通り過ぎて欲しい、関わらないで欲しい、放っておいて欲しい・・!
 彼女はその場にしゃがみ込んだ。

 信号が青に変わり、立ち止まっていた人々が歩き出した。誰もがしゃがみ込んだ彼女を避けていく。かすかに眉をひそめて迷惑そうに見遣る人も、声を掛けるわけではなく、彼女の横を足早に通り過ぎてはまた無表情に戻っていく。
 耳を塞いでしゃがみ込みながら、彼女は孤独だった。誰でも良いから優しく「どうしたの?」と声をかけて欲しいと、心のどこかで思っていた。
 顔の横を無数に通り過ぎていく足たち。さっきまでは何かから逃げたい気持ちでいっぱいだったのに、今は何かに縋りたい気持ちでいっぱいになっていた。

 青年の眼に感じた恐怖は、他人にほんの1ミリの興味も持っていない、青年の純粋なまでの無関心さにあるのだということを、彼女はその時自覚できなかった。眉をひそめて通り過ぎる人たちが逆に、一瞬だけ彼女に興味を向けたのだと言うことも、もちろん今の彼女にはわからなかった。
 彼女にとっては先ほどのいわれのない恐怖よりも、無数の足たちに埋もれる今の孤独な自分の方がよっぽど怖くて苦しいことだった。
 もう、ひとりでは立ち上がれない。誰か、私に声をかけて、救って・・!
 
 しゃがみ込んだ彼女を見つけて、ゆっくりと灰色の眼が近付いていく。

2004.3
LEDの信号って本当に怖くないですか?
こういう文がかけるのも、普及中の今だけかな。
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