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スケッチ
ノート

特にプロジェクトを推進する部署の反発はひどく、「お前は何も考えずただ客付けすればいいんだよ」と言う人もいれば、上役に対し「せっかくこれまでやってきたプロジェクトをひっくり返していいんですか?」と裏で注進する人もいれば、何の根拠もなく「もっと高くもっと早く稼動させられるはずだ」と怒鳴りだす人もいた。
 私は、足を棒にして自ら調べた分、自分が出した数字に客観的な根拠をいくらでも提示できた。また、注文をつけられればつけられるほど、より詳細な資料へ進化させることも出来た。そうして、一月ほど経ってようやくチームメンバーにプロジェクトの比較を冷静に考えてもらえるようになった。
 私は、自分自身の思いは別として、極力客観的に事業計画収支比較表を提出していた。どうすべきかは数字が明らかにしていたから、言わずとも良かったのだ。その数字に誰も反論が出来なくなった時点で結論は出た。最終的にプロジェクト推進部署の責任者がはっきりと結論を口にした。「一般オフィスに戻そう」と。
 それからは早かった。常務である事業部長も差し戻し一度だけで、プロジェクトの変更を決断した。結局、誰もが「本当は危ないんじゃないか」と感じていて、それを見ないようにしていたのだと思う。その通り、この事業はどう転んでも赤字になるしかなかったのだ。私がやったことは、「どう転んでも赤字になります」と言うのを明確にすることと、現状から考えうる範囲で最も赤字が少ない計画を提示することだけだった。
 このプロジェクトに着任して2ヶ月。同志と言えるのは同じマーケティング部門に所属し、以前からプロジェクトの危険を常に警告し続けていてくれた(なのに若手だったからか誰もその意見に耳を傾けなかったらしい)メンバー一人、それから最後に自分の面子を気にせずフェアに冷静に決断してくれた推進部署の責任者だけ。上司ばかりのプロジェクトチームの中、2ヶ月の間孤立無援という言葉がいつも私の頭にあった気がする。

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私の直属と言える上司は出向元(マーケティング部門)と出向先(運営部門)に2人いたのだが、彼らは最後まで自分自身の意見を一言も発しなかった。私の出した資料に注文はつけたが、アドバイスは何もなかった。更に、そのうちの一人は最後の最後、経営陣へのプロジェクト変更提案会議のとき、他の誰もが私自身説明するべきだと言う中(もちろん私もその気だった)、「(マネージャーである私ではなく)部長が行った方がいいだろう」と私が作った資料を持って私を退け会議に出席した。そして紛糾するかと思われたその経営会議では案外すんなりと提案は認められたらしい。
 自分でプロジェクトをひっくり返したのだから、最後経営陣に説明するまで自分で責任を持ちたかった私は本当に悔しかった。運営部門の責任者でありながら、2年間もプロジェクトに関わりながら、危機感に目をつぶり最後まで何も意見を言わなかった上司にみすみすその役を渡すなんて、やりきれない思いでいっぱいになった。しかし良く考えたら、この上司には私は以前からこうして上手に利用され続けてきたのだった。長い間いろいろ教えてもらった恩もあるので、嫌いにはなれない。確かに、これほど微妙な時期の会議に一マネージャーにしかすぎない私が出席してしまうと経営陣が本音で言えないことだってあるだろう、そんな判断もわかる。けれど、嫌だ。今までなら必要とあれば私もその経営陣へのプレゼン会議には普通に出席していたのだ、何度も。特に権限を持たずとも経営と話せるこういう部分が、この会社の良さだと思っていた。でも時期が悪いから阻まれる?こんなの「普通の会社」みたい。Rじゃないみたい。Rの社風は、素直に「こいつがやりました、あっぱれ!」と上司部下問わず認め合うことが基本じゃないのか。今回私のしたことをはっきりと認めてくれたのは、プロジェクトチームの若手メンバーと、プロジェクトを外から見てじりじりしていた人たちだけだった。
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